国東市民は科学で地域復活を目指します。
| 役職 | 名前 | その他 |
|---|---|---|
| 主宰者 各地域 世話人 |
参加者 宣言者 國廣秀光 |
秘書他 担当者 |
| 宣言者 各区等 団体 |
募集開始 | 協力者他 |
| 会計係 各団体 |
募集開始 | その他 |
討議資料1「発起の理由」
国東に住んで50年、地域の人口が尻すぼみとなり、いい加減、厭になりました。昔を思うと祭りも寂しくて楽しい気分になれません。
国東市は、最近の8年間で、人口が4千人も減りました。しかし、減った原因は就職先が無いし、農林漁業の衰退は国の政策なので仕方が無いと言う方がいますが、隣の豊後高田市は500人しか減っていません。この大きな違いは何なのでしょうか?追求する必要があります。
私(筆者)は、国東に就職できることが最も必要と考え、地元国東で会社を興そうと、前職の消防で必要性を感じた地震観測や予知に、23年間挑戦してきました。そして、
地象のメカニズムを解明し、予知理論や実際の電磁観測技術が確立したので、会社を興し、国東に社員を雇用、次第に増やして、10年後には300人の会社にする計画を樹て、市に助成をお願いしましたが、お金が無いと断られました。
(古里納税で6億+、今年はもっとある)のお金は何に使うの?かな)
私の計画は、地震観測で全国民の安全を守り、Weatherニュースのように多くの社員を雇用するChanceだったのですが、残念です。
創業や起業には、必ず、リスクは伴いますが、行政支援もあってしかるべきです。何故なら若人が増え税金等のリターンで助成金が数十倍になって戻るのです。
リスクを恐れず、挑戦しなければ、国東の再生はありません。
討議資料2
仏の里国東に異議あり!主張者(國廣秀光)
私は国東を代表する言葉として「仏の里国東」にほんの少しだけ意義を唱えます。確かに国東は仏教文化が栄え、言葉的にも慣れ親しんできました。しかし、どうも違和感が残ります。本来は「科学の里又は学問の里」国東と言うべきだと考えるのです。(三浦梅園も国東の科学者です。)
なぜなら、仏教文化は伝来した当時、最新の文化であり、科学や、学問、医学、製鉄から武器や仏像創り迄、最新の科学文化だったのです。
現在、国東に仏教史跡が多く残っているからといって、仏の里一色に考える必要はありません。仏教伝来と言えども伝わったのは、最新の科学であり、最新の文化だったのです。だから、その未知を求めて、全国から大勢が学びに来たのです。
私は、国東を代表する言葉として、
また、大勢が学びに来る国東文化を目指して、
国東の呼び方を
「科学の里 国東」として、国東の復興を目指そうではありませんか。
討議資料3
ふるさと納税について
一昨年あたりから国東市のふるさと納税額が増えています。市内で生産するC社のカメラが納税額の多くを占めていますが、市場価格より大幅に安く買えることに飛びついたものでしょう。
しかし、総務省はこの現実に偏りがあるとして快く思わず、納税方法の修正や、制度そのものを再考しています。
従って、ふるさと納税も一時的なブームかも知れませんが、この使い道は、後世の判断材料になることでしょう。今が、最も知恵の出しどころだと思います。
皆さんからも
討議を要する議題の提案を受け付けます。
主宰・世話人(國廣秀光)のプロフィール
昭和23年国東町浜で6男として出生
(父は興導寺の馬場忠治、母は浜國廣星子)
昭和42年国東高校〜龍谷大学(文学部へ)
昭和47年東国東消防組合消防職員に採用
昭和49年猪部良子(保母)と結婚し鶴川に住む
平成10年消防署長、12年消防長拝命(5年 間勤めて退職、23年瑞宝双光賞の叙勲拝受)
地震予知研究を23年間続け予知技術を開発
会社設立の模索を行っている。
3男1女 現在は鶴川にて夫婦二人暮らし